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大学生村官个人总结(杨燕英)

时间:2019-05-28 09:43:51 网站:公文素材库

大学生村官个人总结(杨燕英)

大学生村官个人总结

我于201*年9月份考上无定河镇包日陶勒盖村的大学生村官,成为了无定河镇包日陶勒盖村村主任助理。从上岗到现在,已有九个月的时间,在工作过程中,熟悉了我村的基本情况,并为村民做了很多工作,这是我任职以来最大的收获。这不仅有助于我顺利开展日常工作,更是为日后创业,开拓创新,打下了坚实的基础。九个多月来,我看到了很多,做了很多,也学到了很多,对农村工作也有了新的认识,我一直都在成长。现将这九个多月的工作总结如下:

一、摆正心态,迎接挑战

从报名的第一天起,看到村里的办公环境很差,有一点失望,感觉不像自己想象的那么美好,虽然在农村长大,但对农村工作并不够了解。但是我认为即来之,则安之,怎样才能做一名为人民服务的好村官呢?

我也考虑过,来到农村这个生我养我的地方,我拿什么来证明自己?你的付出是否得到认可?这条路是否适合自己?终究,还是下了决心。我坚信,心有多大,舞台就有多大。给我一个翅膀,我会证明我可以飞的很高。既然选择了自己的路,就要坚定不移的走下去,摆正自己的心态,不要以为来到农村工作是吃苦的,把在农村受的所谓的物质上的一点苦当成是对自己的磨砺和人生的财富,因此,调整了自己的心态,使自己愉快地去接受,去适应这种生活。并且要在工作生活中,认真的做好每件小事,迎接更多的挑战。

二、从实际出发,踏实做好我村经济建设工作在村党支部书记和村委会主任和上级领导干部的指导和带领下,我走村串户了解民情,了解村里的经济、民生情况。很快熟悉了村里的各项工作,尽快的地进入了工作角色。虽然条件比较艰苦,但对于农村出身的我,不仅深深感受到这份工作的充实和荣誉,更学习到很多做人的道理,相信这也将是我成长道路上不可或缺的人生经验。

我所任职的包日陶勒盖村位于无定河镇西南8公里,,有农户252户,总人口812人,总土地面积126平方公里,其中水浇地有8000亩。我村是无定河镇比较小的村,这样很便于管理和开展工作。我村主要以传统的玉米种植为主,养殖为辅,本村无集体企业和私营企业,群众主要靠种养殖谋求生计,总体经济收入达到小康水平。

但是我村近年来经济发展速度缓慢,由于我村的基础设施薄弱,饮水条件较差,交通不便,生产方式落后,而且农用工具非常落后。这很大程度上限制了我村的经济发展。这是我村目前急需解决的问题,是我们工作中的重中之重。

为了加快新农村建设的步伐,我村两委抓住政府扶持村镇建设的契机并结合村里的实际情况,集中人力、物力、财力,加快基础建设,改善村民的生产和生活条件,我以自己微薄的能力,协助配合我村两委做了以下工作。

(一)实施了自来水工程,在旗水利局的支持下,我村于201*年9月至11月开展了自来水工程的建设,其中主管道长8.5公里,支管道长25公里,解决了我村70户农户饮水条件差的问题。

(二)实施了沼气工程,在旗农牧业局的支持下,我村于201*年7月至11月给农户修建了沼气池,我村共建设了119座沼气池,很好地改善了我村的生态环境。

(三)引进节水喷灌项目,在旗农牧业局和镇政府的支持下,我村被列为全镇肉牛优质饲草料基地,于201*年3月至今逐步在实施工程。总共购置喷灌机8台,有2500亩土地受益。

在我任职以来,村里对我这个新来的年轻人非常照顾,不但在工作上给予了我很多帮助,而且在生活中也给我提供了很多方便,让我深深的感受到农民的质朴和可爱。这更加坚定了我为村民服务的决心和信心。

三、明确自己的工作职责,给自己定好位

结合这九个月来的工作情况,我认为村委会主任助理应该在村党支部、村委会领导下开展工作,主要工作职责:

1、以日常村务工作为中心,走访摸底,找准定位,详细了解我村的经济收入和民生情况,了解我村的产业发展现状,对当前存在的问题及村民的收入等基本情况做到心中有数,培养和人民群众的深厚感情。为日后创业,开拓创新,打下了一个坚实的基础。

2、作为包日陶勒盖村远程教育管理员,要充分运用现代远程教育及网络信息平台为村民服务,做好新农村建设工作。我本身是学习计算机专业的,所以更应该用自己所学的知识造福于百姓。我要通过自己的努力,通过远程教育及网络,搜集对农牧民有用的信息,比如说在中国农业信息网等网站发布农产品销售信息,联系客户,给种养殖的农民提供帮助,加快我村的农产品销售速度,增加农民的经济收入,逐步提高农牧民的生活水平。

3、协助上级部门搞好党建工作,同时协助村委搞好行政工作及村镇建设。推进包日陶勒盖村的民主进程,加快包日陶勒盖村的新农村建设。

四、要给自己一个准确的定位:

1、做好村建设的信息员。能及时搜集、整理网络上的政策、法规以及相关供求信息,负责实用技术推广,落实并抓好对党员和村民的教育培训工作。

2、做好党惠民政策和法律知识的宣传员和解读者,让农牧民及时的了解相关惠民政策。并利用自己的特长服务于村民,利用远程教育,向农牧民公布最新的政策以及最新的农畜产品信息,加强村民与市场的联系。为他们谋利益。同时宣传好新农村合作医疗和养老保险政策,扎实推进农村合作医疗和养老保险的进程,普及覆盖面。还要宣传相关法律知识,从而推进依法治村,提高村干部和村民的法律意识,让他们知道怎样维护自己的合法权益。并达到维护本村的安全稳定,建设一个和谐新村的目的。

五、工作不足及今后努力方向

在任职以来,虽然基层业务水平有了一定的提高。但针对实际问题的解决能力还是非常欠缺的,考虑问题不够全面。多角度地学习是增强业务能力的一种有效途径,通过与村书记及其他同事们的沟通,让我学会多角度地考虑问题,多参与村级事务管理,进一步加强与村干部以及村民的沟通,提高我的业务水平。

在此,首先要感谢自治区委组织部、市委组织部给我为农村服务的机会;其次要感谢各级领导对我的关心、教育与帮助;在以后的工作中,我将更加努力,用实际行动来报答你们对我的关心和帮助,从小事入手,任劳任怨、扎实工作、戒骄戒躁,为建设社会主义新农村贡献自己全部的力量。

包日陶勒盖村杨燕英

201*年5月5日

扩展阅读:日语作文

「私が住んでいる部屋」

日本は土地の段が非常に高い。そのため、家を建てるにも部屋を借りるにも、かなり用がかかる。私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。

6の部屋に2くらいの台所トレが付いて3万である。付きの部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。今でも少し残念に思っているが、しかたがない。

は近くので我慢している。だが、私の部屋は二の南向きで日当たりがよく、また、向かいは公なので、境はとてもいい。地下のはいて10分位である。学校にも40分位で行けるので、だいたい足している。「私の国の季」

日本では1年は3か月ずつ四つの季に分かれています。1年を通じて候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。山【さんみゃく】が本州を【じゅう】に走っているので太平洋(表日本)と日本海(日本)では候の差が大きいです。表日本では、夏はむし暑く、冬は湿が少なくて晴天が多いです。日本では冬は雪がたくさん降ります。いわゆる雪国では雪が4~5メトルもつもることがあるそうです。

北海道を除く各地は6月上旬【じょうじゅん】から7月中旬【ちゅうじゅん】にかけて高温.多湿のシズンになります。8月から10月にかけては日本列【れっとう】の南西部は台の影を受けることが少なくありません。京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、温の上下【うえした】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。日本の大部分の地方で最もよい季は春と秋です。の美しい4月やの美しい5月は海外の光客も多く、また10月のも魅力的【みりょくてき】です。「ルバト」

「ルバト」はもともとドツで「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、学生の副の意味として使われるようになった。在、日本の大学生の90%以上がルバトをしているという。そしてルバトのために学校を休む学生も多いそうである。

授はやぼってもルバトにはいく。そういう大学生たちは何のためにいているのだろうか。あるンケトによると、大学生のルバトは、サビス、など第3次の仕事が多い。そして、「どうしてルバトをするのか」というにしては「海外旅行をしたいから」「をうため」などの回答が多かった。ほかにも、「金をして、留学の用にするつもり」「学は自分でかせぎたいから」「会社勉になにから」という回答もられたが、ごく少数てあった。この果からわかるように、ルバトの目的はぶためのお金をためることが中心となっている。

たとえびが.主な目的でも、ルバトをすることで、の尊さやお金を得ることの大さを体できるのだから、大きな意味がある。しかし、ルバトのためなら授をさぼってもいいとのはである。「病」

日本に来て1か月ぐらいたったとき、病になりました。そのは、胃が痛くて何も食べたくありませんでした。どうして病になったのかよくわかりません。はじめがまんして学校に行っていましたが、だんだんひどくなりました。それで、近くの病院に行きました。

お医者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をしてをくれました。私は勉がれるから学校を休みたくないと思いました。しかし、お医者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寝っていました。二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり理をしないようにをつけました。四日目に友がお舞いに来てくれました。病をしないように、いつもきんと食事をして、よく休することが大切だと思いました。「スポツ」

すもうは日本の国技【こくぎ】です。わたしは高校生の、ドツ初めてすもうをました。テレビでたのですが、力士【りきし】があまり大きいのでびっくりしました。そのから、私はすもうが好きになって、友とすもうのを始めました。今、ドツで、20人ぐらいの友とすもうのクラブを作って、日をしています。

私のは、日本のマチュすもう大会ですることです。今まで2回挑【ちょうせん】しました。1回目は、1回で、けましたが、2回目は3回までちました。私は体が大きいので、一生命すれば、きっとくなれると思います。

すもうは、何も道具を使わない、人の力がぶつかる素晴らしいスポツです。私はすもうが、ドツでももっと盛んなってほしいと思います。「高校生活」

高校の、私は朝720分に家を出ることにしていました。けれども、刻しそうになって走ったこともありました。りは、友と偶に寄り道をして、ケキ屋さんや本屋さんへ行きました。校では禁止されていたので、何となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でもかしく思い出します。私は3年ずっと合唱【がっしょう】部でした。はつらくもあり、またしくもあまりました。1年に1度の表会の前は、でりがおそくなることがよくありました。暗い道を、友とへ向かう途中、みを相し合ったり、10年後の自分たちについて、したりしたりものです。今から思えば、このおしゃべりが、日の生活のしみだったのかもしれません。私が高校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。「趣味」

私の趣味は道【しょどう】です。休日はいつも午前から【ひつ】と【すずり】を出して。夕方まで字をしてすごします。でも、このは日本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供のから、みんな字をいます。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの、私は暇なでも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本学校で字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。字は私の国でもきましたが、ひらがなをでくのは初めてのでした。その私はでくひらがなの美しさにとても感しました。今、私はひらがなのに中になっています。

それに字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい持ちになります。字は孤独【こどく】な趣味です。友は「もっと外に出てんだ方がいいでしょう」と言いますが、私は字をやっていると本当にをわすれてしまうのです。

「スト」

最近、私が住んでいるパトのとなりにストが出来た。ストには、パンやおにぎりなどの食料品から、洗,などのまで、生活に必要なものはたいていそろっている。その上、24あいているので、いつでも必要なにい物ができる。この店ができたおかげで、夜くおってきたときでもい物ができるようになった。

私のような一人暮らしの男性だけでなく、仕事でりがくなった女性も弁当をっている。この店では、月の代や代をうこともできる。それに、コピもあるので、たいへん便利だ。

このように、ストのおかけで生活は便利になったが、よいことばかりではない。夜、でい物に来る人がえたために、うるさくて勉ができなくなってしまった。エンジンを止めないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃべりをしたりする人がいる。また、いぜんより道がくなった。ストを利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。「私の一日」

私は朝6半に起きます。そしてラジオの中国の勉を始めます。中国の音は大しいです。7半ごろ朝ごを食べます。

私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家からまで10分あまりきます。そしてで会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。はいつもたいへんこみます。会社は9に始まります。仕事はたいてい6にわります。どきどきからタクシでります。3分ぐらいです。170かかります。

私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出します。来は九州へ行きます。しかし、出はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小をみます。夜はビルを少しみます。そしてステレオで音をきます。ときどきテレビもます。「私の家族」

私の家族は4人と1匹です。と私、弟、それにゴンという名【な】の犬です。父は史家なので、セラリマンのように日まったに出勤しません。父はが苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は将来外国できたがっています。

ゴンは今年10になります。とてもいばっていて、父がいないはゴンが父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍からしてはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの靴をしてしまいます。ゴンの最後の手は病です。ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。家族はそれにされます。「日本の授」

日本の授は1に5回あって、文型【ぶんけい】や会、字、作文などをします。本をんだり、テプをいたり、ビデオをたりもします。授中は先生も私たちも日本しか使いません。

始めに、にをしてから、新出や文型をいます。先生はや作をせて明していきます。何回も文をかせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生のに答えたり、学生同士でしあったりします。よく、先生は私たちに短い会を暗させて、役割をさせます。とてもしますが、に、体をかしながらすのは面白いので、私はこのが一番好きです。しかし、字は苦手です。先生は私たちに字がいてあるカドをませたり、何回もかかせたりします。最後に、声を出して教科をみます。先生は私たちに一人ずつませて、ったみ方をなおします。「お生日」

私の生日は4月23日です。今年の生日で私は30になりました。私はその日、友といっしょに生日パテをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。

そしてそこをきれいにかざりました。バスデケキにろうそくを21本たてました。それから私がすきなこん色のワンピスをきました。5からパテを始めました。友がたくさん来てくれました。そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケキに立ててあるろうそくの火を消す、シャンペンの栓【せん】をぬいてくれました。そして、人形やこう水やなど、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを歌いながらビルをんだりスケキを食べたり、ゲムをしたりしてごしました。「」

「日本人はき蜂」とよく言われます。かに、日本人は勤勉でょくき、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、でも仕事ばかりしているわけではありません。それでは、仕事から解放された、日本人はどんなことにしみを出すのでしょうか。

まずゴルフです。サラリマンにとっては、たんに趣味というだけでなく「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事の方ができて「一得」のようです。

「と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているのではないでしょうか。国内ばかりか高の影から海外旅行も高まるばかりで、休日のや空港は大混します。

スポツは野球、サッカ、相などに人があります。テレビの番表をると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。いグランドでりげられるゲムや狭い土の上のに狂し、ひとをごすのは、たとえテレビのにしてもしいものです。

また、お年寄りに人があるのはゲトボルです。孤独になりがちなお年寄りがいっしょにボルを追いかけることで、しみを共有できるのはよいことだと思います。パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきりれます。しかし、どんな町にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人のの中に必要がありそうです。パチンコフンは老若男女をわないようで、店の中には、さまざまなの人がゲムをしんでいます。

カラオケは世代によってしみ方がいます。若者はカラオケボックスで、歌うことを目的に、数をごします。仲だけでいられること、何人もでしめること、歌っている瞬は主役でいられることなどから人があるようです。勤め返りのサラリマンが立ち寄るバなどにも、カラオケののあるところが大半です。「いっぱいみながら」歌うカラオケは、知らない人同士マクをり合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍手をする。最近では外国人のために、各国の局をそろえたところも出てきました

「私の一」

私は月曜日から金曜日まで日本の学校に行きます。そして9から3まで勉します。お昼休みは12から1あります。私はこのがすきです。自分のクラスの友はもちろん、他のクラスの友ともおべんとうを食べながら、いろいろなことをし合います。ときどき学校の近くのレストランへ行くこともあります。

放後【ほうかご】は学校ので5まで予とをしてからルバトに行きます。月曜日から金曜日まで、昼と夜はルバトや勉で忙しいですからあまりびに行きません。土曜日は学校は休みです。朝は除をしたり、洗濯をしたり、近所のスパへ物に出けたりします。日曜日の午前中は教会へ行きます。午後は天のいい日は公を散します。土曜日から日曜日にかけて温泉に行ったことがありますが、わたしは土、日は家でや友に手をいたりテルビをたりして、のんびりごすのが好きです。「私の友」

私は的な性格ですから、友がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になったです。你来我网さんは私は反に、女らしくしくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私のみをいてくれて、私には本当のおさんのような人です。私が寂しいや困ってにるは、いつでも力になってくれました。你来我网さんは、今、ゲザナになって有名な洋服の会社につとめ、日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手をき、もかけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。「自己介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言や食事のことなどでとても苦【くろう】しました。おに入るもずかしくて嫌でした。でも、今はもうすっかり寮の生活にもれて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心がくいろいろなことを体してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。

今中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本の勉がわって国したら、日本や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。

「える突然【とつぜん】死」

最近、30代、40代の人の「突然死」がになっている。きのうまで元でいていたが、急に倒れて、病院にばれる途中で死んでしまったとか、朝、なかなかおきないのでに行ったら、まう死んでいたとか、そんなニュスを新などでることがある。私には信じられないことだが、もし本当ならとても恐ろしいことである。

なぜ、このような突然死がえてきたのだろうか。新によると、突然死の一番の原因は、日の忙しい生活やな人から来るストレスらしい。30代、40代は一番元に仕事ができる年代だが、そういう自信があるために、かえって理をして、突然たおれってしまうのではないだろうか。しかし、日一生命にきつづけて、30代や40代で死んでしまうのは、にさびしい人生だと思う。昔とくらべると、代はとてもかで便利な会社だと思うが、若い人たちは仕事にばかり中にならないで、もっと人生をゆっくりしむべきである。「私の国の教育」

中国の教育は中学3年生までで、16までです。中国では小学校から中学校に入学するはがありません。中学校から高校に入るからがあります。高校から大学に入るはとてもむずかしいです。学校の高校3年生たちは、朝7から夜まで学校で勉します。科目が多いので入学に合格するためにはたくさん勉しなければなりません。一番たいせつな科目は国と英と数学です。1クラスの30パセントの生徒が大学へ学します。学しない人は家にいる人もいますし、就に合格する人もいます。「3しかねなかったら入学に合格するが、4寝たら落ちる」というがあるほど、大学に入学はしいです。日本の予校と同じような学校があるので、入学に落ちたらその学校で勉します。

中国の教育はとてもしくて、日本とあまりかわらないと思いもす。

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